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ドジョウ・バブル」はいつ弾けるのか

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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110909-01-1501.html
2011年9月9日 フォーサイト
 野田内閣が有権者の高い支持を得て発足した。日本経済新聞の調査(9月2-3日)によれば、歴代6位の67パーセントもの支持率だという。新首相の野田佳彦が民主党代表選演説で自らを「ドジョウ」に重ね合わせたことも効果を発揮したのであろう。しかし「ドジョウ」を除いて、有権者が野田について知る情報は限られる。これほど国民に素顔を晒すことなく、総理の座に就いた政治家も珍しい。
 民主党が野党だった頃、筆者は野田に何度かインタビューしたことがある。取材テーマは、野田が1期生として学んだ政治家養成機関「松下政経塾」である。当時の印象は「真面目そうだが、面白みのない人だな」という程度だった。高慢ではないが、演説で見せるウィットもない。会えば魅了されるような「人たらし」でもなかった。
 野田は、創設30年以上になる政経塾から初めて誕生した首相だ。間近で野田を見てきた塾関係者に、彼はどう映っているのか。取材してみると、野田への評価は2つに分かれた。塾の同期たちは「昔から寡黙で、他人の話をよく聞く」「性格は素直で、敵が少ない」と口を揃える。しかし、後輩たちからは、
「うまいのは演説だけ」
「頭にあるのは自分の出世ばかりで、塾同期の逢沢(一郎・自民党衆議院議員)さんなどと比べても、後輩の面倒見が良いわけでもない」
 といった辛辣な声が意外に多い。事実、塾後輩の民主党国会議員にも、野田グループに属する者は少数だ。なぜ、野田は後輩たちに評価されないのか。彼の政治家人生を振り返りつつ、その理由について述べてみたい。


年長者には受けが良いが……
 政経塾を出た2年後の1987年、野田は千葉県議選に立候補した。金権風土が強かった千葉でボランティア選挙を実践し、選挙戦最終日には13時間にもわたってマイクを握った。マラソン演説の甲斐もあって、野田は「泡沫候補」から大逆転で当選を果たす。当時の野田に憧れた政経塾の後輩は、後に塾出身者として初の閣僚を小泉政権で務めた伊藤達也(塾5期)をはじめ数多い。
 93年には、元熊本県知事の細川護煕が巻き起こした「日本新党ブーム」に乗り、野田は衆院選で当選した。同衆院選は、政経塾にとってジャンピング・ボートとなった選挙である。設立から10年以上を経て1人しか国会議員が誕生していなかった塾から、一気に15人が国政に進出した。その中には、野田の他にも前原誠司(8期)、玄葉光一郎(8期)、樽床伸二(3期)ら現在の民主党幹部がずらりと並ぶ。
 同年発足した非自民連立政権の首班を務めることになる細川は、98年に政界を引退して以降、メディアから姿を消していた。しかし、今回の民主党代表選直前には、野田と小沢一郎・民主党元代表の仲介役を務めた。そして野田政権が誕生して以降は、盛んにマスコミに登場し、以下のごとく野田をベタ褒めしている。
「実直、寡黙、ぶれない。首相になるいい素質を持っているなと思っていました。それにハラが据わって、落ち着いて受け答えできるのも頼もしい」(毎日新聞9月1日夕刊)
 細川政権が「佐川スキャンダル」発覚で8カ月の短命で終わった後も、野田は細川と行動を共にした。その意味では、細川に幻滅し、日本新党を飛び出していった前原とは違う。細川にすれば、野田は「直弟子(じきでし)」なのであろう。
 野田は、細川のような年長者には極めて受けが良い。数年前、筆者が当時の政経塾塾長に「塾出身者で誰が総理にふさわしいか」と取材で尋ねた際、元松下電器(現・パナソニック)重役の塾長が真っ先に挙げたのが「野田佳彦」だった。「重厚だから」というのが理由である。
 だが、細川や政経塾の理事長らが野田を高く評価するのは、政策であったり、総理として求められるリーダーシップや決断力といった資質とは全く関係がない。自分に背かなかったとか、野田が放つ雰囲気を好感しているに過ぎないとも思われる。「ドジョウ」の演説を聞いた国民の多くが、野田に良い印象を持ったのと同じレベルである。しかし、野田の過去の行動からは、「重厚」な見かけとは別の一面も垣間見える。


頓挫した新党構想
 新進党から再選を目指した96年の総選挙で、野田が落選を喫した後のこと。野田は山田宏(2期、現・日本創新党党首)や長浜博行(2期、現・民主党参院議員、官房副長官)ら塾出身者に加え、河村たかし(現・名古屋市長)や中村時広(現・愛媛県知事)らと新党結成を目指した。総勢十数名のメンバーで秘密裏に会合を繰り返し、結束を高めようと「血判状」までつくったほどだ。
 その最中、政経塾の後輩でもある若手メンバーのもとに、当時勢力を伸ばし始めていた民主党から次期総選挙で公認するとの誘いがきた。選挙区も若手の地元である。彼にとっては願ってもない話だったが、血判を押した同志を裏切って簡単に民主党へと走るわけにもいかない。若手は新党構想を率いていた野田らに相談した。すると野田からは、煮え切らない答えが返ってくる。
「とにかく、皆で考えよう」
 新党実現の目処など全くないのに、「俺たちに構わず、お前は民主党でチャンスを掴め」とはならないのだ。結局、新党構想は中途半端に頓挫。野田らは何もなかったように民主党へと合流し、国政の議席を回復する。その一方、民主党への返事が遅れた若手メンバーは地元選挙区での公認を得られず、野田らに見捨てられた形となった。


「偽メール事件」での失態
 野田が民主党国会対策委員長を務めていた2006年には、危機管理能力を問われる「偽メール事件」が起きた。偽メールを掴まされていた永田寿康(当時の民主党衆院議員)に対し、野田は国会で自民党を追及する許可を与えた。永田への情報の怪しさを見抜くことも、調査することもできなかったのだ。
 メールの真贋が問題となりかけていた頃、自民党の伊藤達也は野田に「あれ(メールの情報)は危ないですよ」と電話を入れている。IT業界に精通していた伊藤は、関係者から「偽メール」である可能性が高いとの情報を得ていた。しかし野田は、ライバル政党に所属しながら野田を気遣った後輩の忠告に耳を貸さず、永田に国会での質問を強行させた。後にメールは偽物だと判明し、議員辞職に追い込まれた永田が、失意のまま自ら命を絶ったのは周知の通りだ。
 当時、野田を国対委員長代理として支えていた民主党衆院議員の藤村修は、野田内閣で官房長官に抜擢された。偽メール事件を引き起こした野田と藤村のコンビで、国家の危機管理が十分になされるのか大いに疑問だ。


「実績は何もない」
 財務大臣を務めていた先日までは官僚「べったり」と批判された。「他人の話をよく聞く」のはいいが、首相になった途端、復興増税や財政規律に関する主張もトーンダウンしてしまった。脱税容疑のある企業経営者に加え、外国人からの献金問題も発覚し、脇の甘さも指摘される。こうした事実を見ても、筆者には「重厚」「安定感」といった野田の代名詞が、単に外見や演説のイメージに過ぎないのではないかと思えてならない。
 塾後輩の政治家の1人が、野田についてこんな解説をしてくれた。
「政治家として野田さんの実績は何もない。新党をつくったわけでもなく、大臣や党幹部として大きな仕事をしたこともない。強いて挙げれば、徒手空拳で千葉県議選に挑み、勝ったことくらいです。松下幸之助が政経塾をつくった背景には、田中角栄に象徴される土建国家、バラマキ政治の否定があった。角栄型を引き継ぐ小沢さんとは、塾出身者は本来、相容れないのです。にもかかわらず、野田さんは今回、小沢さんと手を結んだ。政治手法、政策も全く違う者同士が組んでも、うまくいくはずがありません」
「ドジョウ・バブル」が弾け、野田の実像が有権者に知れ渡り始める日も、そう遠くないのではないか。(敬称略)
*野田新政権についてのご意見・情報は、フォーサイト・フォーラム「野田新政権に言いたいこと」でもお待ちしております。
 
 
筆者/ジャーナリスト・出井康博 Idei Yasuhiro
 
フォーサイト・ウェブサイトより
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諸葛孔明

Author:諸葛孔明
サラリーマンを辞めて「専業トレーダー」やっています。現在は、配当重視株7割 売買3割でやっています。
(注)「FHファンド」は、個人事業届出時の屋号です。投資顧問業ではありません!

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